レヴィナスの顔 『闘うための哲学書』で思ったこと

『闘うための哲学書』 (講談社現代新書小川 仁志, 萱野 稔人著)を読んで2点。

1.レヴィナスの「顔」について

レヴィナスの「顔」について論じています。で,私は,彼が言う「顔」は単なる他人の顔ではなく,きっと彼の夢に出てきた(はず)の,彼を無言で問い詰める親兄弟や親せき・知人の顔なのだと勝手に思っています。自分一人が生き残った彼は,そんな悪夢に毎日みまわれていたのだと想像するとがてんがいきます。


2.ロックの「所有権」について

P.90 ……国家ができる前に,どうやって所有「権」が確定されるのか,というのがここでの問題です。

ロックの「所有権」についての議論で萱野氏は,法に自然法を含めて考えていないために「法を執行する国家がなければ所有権も確立しえない」と主張する。この発想では自然権は「実質的な」権利ではないということになる。ロックなどの社会契約論では,もちろん法には自然法が含まれる。自然法の下で権利は「ある」と考える。けれども国家権力がなければ自然権は十分には守られないので国家がつくられた。あくまでも権利は国家の前にあるのだ。

国家がないと権利が主張できないはずという議論は,ロックの考え方の問題点の指摘にはなっていない。もちろん自然法と自然権の主張自体を批判・否定するならその論法でいい。しかし,自然法思想内の理論的問題を指摘しているのであれば誤りである。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。