久々に山本七平

連休を機に,現在の家に引っ越してからは別な場所に避難していた山本七平氏の本を,数十年ぶりに読み返してみた。

山本氏は偉大な「理屈屋」

私の師の一人が山本氏である。もちろん,勝手に私が言っているだけだが。数えてみると24冊の著書があり,「本を持っている数」という点では最大の師となる。なだいなだ氏からも影響を受けている私は,どんな人間なんだという疑問も生じてしまうのだが。

まずは『勤勉の哲学』。鈴木正三と石田梅岩の研究だ。今更だが,彼の論理展開は大変に「ねちっこい」。これが生まれついての?理屈屋である私にはたまらない。

山本氏から受けた最大の思想的影響は,「どんなに確固たるものと見えても,批判できない意見はない」ということ。いや,逆に,「確固たる意見こそ怪しく,人々に災厄をもたらす」ということ。すべての意見は一定の「立場」から主張されているので,その立場を明らかにすれば,実は自分の利益を擁護しているにすぎないことがわかる。

氏の,みんなが同じ意見になるのは「誤った考え」である証拠だという感覚は,「船の左舷にみんなが集まれば,不安になって右舷に寄る」ような性格という,へそ曲がりななだいなだ氏との共通点か。私も同じだ。みんなが「一つになる」のは危ない。

入り口は日本人論

初めて読んだ山本氏の著作が『ユダヤ人と日本人』。もちろんこれはベンダサン名義のものだが,氏が実際の著者である。同じことを述べても,外国人の話なら有難く拝聴するという日本人の性質を利用したのだろう。賛否はあって然るべきだが。

日本人社会の人間関係,いわゆる日本人論に高校時代から興味があった私は,中根千枝氏の著作なども読んでいたが,この本も興味深く読んだ。以後,『日本教について』や『空気の研究』など,多くの著作を読むことになる。もちろん,その他の著者の日本人論や日本人論批判も,大学生の私は読み漁っている。


空気は決して過去のものにはならない

その場の「空気」がすべてを決定する。私は物心ついてから「空気」にできるだけ影響されないようにへそ曲がりに生きていた。実はこの「空気」は古代の「清明心」から近世の「誠」まで,「私心をもたないのが善」という内容で連綿と続き,明治以後も衰えてはいない。それどころか,現代の青少年の間では「空気を読む」という言葉が逃れることのできない行動基準として用いられている。おそるべし「空気」。古代以来の無私=空気を読む世界が連綿と続いているなんて。





コメント

人気の投稿

自分の写真
masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。