一つになって輝く? 一億総活躍社会

一億総活躍? 違和感のあるスローガン。「一億総」で連想するのは一億総動員,一億総玉砕,一億総懺悔,一億総白痴化。

みんな一緒に,政府が作った枠で「活躍」するというのだろう。そこからはみ出た人はどうなるの? 「1億総活躍国民会議」の民間議員である菊池桃子さんは,(暗に「総活躍」を批判して)『社会の中から排除する者をつくらない,全ての人々に活躍の機会がある』そんな社会を目指してほしいと述べた。

これで思い出すのは,自民党の憲法改正案で,現憲法の第十三条 「全て国民は、個人として尊重される」が「人として尊重される」と変わっていること。

「人」に変えたい理由は何だろう。「人」は「動物としての人」と説明する人もいるが,「人として許せない」,「人の道に反する」などの人なのでは。つまり,あるべき姿としての人。「私は主体である個人としてこうしたい」と言っても,それは「人としてダメ」ということになるのだ。自分の思うように生きようとしても,「けしからん」生き方は権利として認められないのだ。

基本的人権は西欧の民主主義が生み出したもので,「主体としての個人の集まりが社会だ」という個人主義の考え方が前提となっている。これは,日本の伝統的な考え方とは異なっている。だから,明治以来,個人主義と伝統的集団主義の対立は続いている。

なにしろ,「無私」や「誠」が立派とされるのが日本古来の伝統だ。自分をなくして,純粋に全体のことを考える。美しい!

いや,考えている主体である自分がなくなれば,考えることなどできないのですが? なので,実際にやっていることは,あたかも自分が全体になったかのように思い込む,自分のエゴを全体の意見であると自分に思い込ませる(だます)ことですからね。「お前たちのために考えているんだ」と怒る親のようなものです。

 自民党の人たちが,人権を毛嫌いするのは,彼らが思う「人があるべき生き方」をはみ出て,個人が自分のしたいことを行う自由を保障するから。たとえば,目上の人の言うことは無条件で聞くのが「人」の道だが,人権をもつ「個人」は「その考え方は間違っているので従いません」という自由をもつことになる。これが彼らが言う「自由のはき違え」だ。

これからも,かみ合わない対立は続くのだろう。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。