学校ががんばれば頑張るほど悪化する不登校

5月30日放送の「“不登校”44万人の衝撃」(NHK)を見て思ったことなど。

究極の村社会としての学級

長年にわたって日本の小・中・高の教育では,「クラスがまとまる」ことが最高の教育目標とされてきました。「みんなは一人のために,一人はみんなのために」を実現するためには,集団からはみ出る行動はゆるされません。そして,それは「スクール・カースト」を強化します。

一方,規律の強化も進んでいます。校内暴力が社会問題となった40年ほど前には,問題行動を抑えるために規律を高めることが行われました。遅刻をして校門に挟まれて死んだ中学生が出たくらいです。(行為の自己目的化ですね。考えることを止めるとこうなりがちです。)そして現在も,理不尽な校則がパワハラまがいの方法で貫徹されているようです。(昨今の理不尽な校則に対する批判を見るとそういうことになっているようです。)

みんなが同じ行動をとる「理想の村社会」を実現すれば,良い学校になると信じて,先生たちは全力をあげて取り組み,見事それに成功したのです。

今や,積極的に「さからう」・「暴れる」生徒は絶滅危惧種となり,多くの学校で生徒は秩序に従う「子羊」です。ただし,勉強という「苦痛」はなるべくしたくない子羊です。代わって,不登校の生徒が増えてきました。

いまだかつてない,同調圧力があふれている教室という環境。不登校の増加の大きな要因がそこにあるのではないでしょうか。

「昔は良かった」と老人は言う

私の通っていた高校は,令和の「和」より,自由(わがまま?)の方が大切という校風でした。クラスにはいくつかのグループがあり,お互い,仲が悪かったわけではないのですが不干渉でした。担任曰く「まとまりのない」クラスでした。学校は生徒を管理する気はありませんでした。60代の私の,昔むかしの物語です。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。