一筋縄ではいかない差別 保毛尾田保毛男の件

「保毛尾田保毛男」のネタ。数十年前ではテレビでOKだった表現が,今の日本では「謝罪」の対象となる。どうしてなのか。

「お笑い」は,何かを笑いの対象とする。デブが,ハゲが,アホが,様々なものがそのターゲットになる。人を笑いものにするのがダメならば,結構な割合のネタが「アウト」だ。アウトとセーフの境目はどこにあるのか。

ここ数年でLGBTという言葉がポピュラーになっている。今までは,否定されていたものが,少しづつ市民権をえている状況だ。

その存在が完全に否定されている状況(攻撃対象は反撃できないので,安心して攻撃できる)では,それは差別以外の何物でもない。かつて,「保毛尾田保毛男」のネタが演じられていた状況だ。「ホモ」をグロテスクなものとして社会は認識していた。

現在は,LGBTが「異常なこと」ではないと,少しづつ市民権を得てきている状況なので,それを笑うことが差別だという告発となる。(攻撃対象が差別だと抵抗できる状況になってきた。)

将来,完全に市民権を得るようになれば,逆に,笑われても平気(ゲイだけどそれが?)ということになるのだと思う。(攻撃しても,攻撃の意味がない状況。)

つまり,まだ差別がしっかりとあるから,それを笑いの対象とすることが否定されるのだ。ハゲをどうこう言われても「ハゲだけど,別にめいわくかけてないし」と普通に言える。まあ,多少差別感はあるけれど。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。