国民栄誉賞セレモニーの違和感

長嶋・松井の国民栄誉賞のセレモニー・始球式をニュースで見て、妙な違和感を感じた。個人的に安倍首相の政治的立場が嫌いと言うことも原因なのだろうが,「国民」栄誉賞なのに何か「別の国の出来事」のような感じがしたのだ。

色々考えてみて気づいたのは、私の中ではもはや「巨人=日本プロ野球」ではなくなっているということ。昔からのプロ野球ファンではあるが、今の私にとってプロ野球といえば「パリーグそしてファイターズ」。長野や坂本がどんな選手なのかは、ベースボール・クラシックスではじめて知ったのだ。

要するに、V9時代と違って、読売の野球が国民的娯楽として圧倒的であった時代は去っているのに、新聞社の偉い人や自民党の政治家のおじさん・おじいさん達が、旧態依然の感覚ではしゃいでいるのかナーという違和感なのでしょう。あるいは、「オレは国民じゃないのかな」という感覚?

長嶋の国民栄誉賞に異議があるわけではありません。でも、10年前だったらよかったのにネ。今の日本の栄誉賞にふさわしい人ではなくなってしまったのでは。なにしろ「永久に不滅」のチームはすでにないのだから。(もちろん読売は相対的には今も強いが。)松井については多くの人の意見と同様に、野茂がまず受賞すべきでしょう。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。