「公の秩序に反してはならない」 憲法について考えた(2)

改正点2 「個人として」から「人として」へ

民主主義の思想の基本には、社会契約説があります。まず、等しく基本的人権をもった、独立した個人がいる。そして、すべての人の人権を平等に守るために政府をつくったという考え方です。

これはフィクションなのです。しかし、それを理由に、「そんな空事は無価値だ」とはなりません。天皇制など、すべての政治思想はフィクションです。社会が共有できるフィクションがあって、はじめて国家が継続できるのです。

民主主義の憲法である日本国憲法は、「個人」が社会の主体であるとの考えでつくられていますが、自民党はこの考え方が肌に合わないようです。日本国憲法にある「個人」という語をことごとく「人」に変更しています。近代の個人主義を否定したいからでしょう。(ひとりひとり異なる)主体としての個人が社会を構成するのではなく、社会の中で(一皮むけばみな同じな人間 日本的!)が生活しているというイメージなのでしょう。


改正点3 「権利には義務がともなう」

そして、自民党案の第十二条にある「権利には義務がともなう」という内容の追加。これも基本的人権を理解していない条文です。基本的人権は「義務をはたした人にあたえられる権利」ではありません。商取引などの経済関係では当然、権利を主張するには契約上の義務をはたす必要がありますが、基本的人権では事情は違います。

生存権で考えてみましょう。生まれながらにして障害などのために働けない人がいます。生存権を行使が認められるために果たさなければならない義務とは何でしょうか。

今問題になっている生活保護費の不正受給は、義務を果たしていないのではなく、不正行為の問題です。

そもそも国民の義務を定めるのが憲法の基本的役割ではありません。人権を生まれながらの権利であり侵すことのできないものと規定することで、支配される人々を権力からまもっているのです。

*日本国憲法にも国民の義務が定められていますが、基本的人権一般に対して義務を課しているものではありません。


改正点4 「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」へ

「公共の福祉」は、人権どうしが衝突する場合に調停するための理屈です。これを「公益及び公の秩序に反しない限り」人権は認められると変更しています。その意図は何でしょうか。

公の「秩序」を「脅かす」ことができないというのは、政府を批判する言論を許さないということに容易につながってしまいます。言論の自由が制限されればそれは民主主義とは言えません。

これは、自民党が基本的人権を嫌い(できれば認めたくないものと考え)、明治憲法の「法律の範囲内で」認められる権利と同様に、政府の意向でいつでも制限できるものにしたいということでしょう。

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自民党案
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。    

第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

日本国憲法
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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いろいろ考えてきましたが、共通しているのは、自民党は西欧が作り上げてきた民主主義が嫌いで、基本的人権が嫌いなのです。

もちろん、日本国憲法に規定されているような民主主義は日本にふさわしくないという政治思想もありえます。ただ、この改正案からわかる、自民党の皆さんが抱いている政治のイメージは「民主主義ではない」ということはぜひ知っていただきたいのです。


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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。