「戦争で亡くなった人のおかげで今日の日本がある」という言説

「戦争で亡くなった人のおかげで今日の日本がある」という言説がある。

命をかけることになった行為は「価値があるべき」であると本人が考えようとするのは当然。もし,私が特攻を命じられる立場になったら,必死でその意味を見いだそうとするだろう。「私が命をかけることで家族が,日本が救われる」と考えられれば決心がつくかもしれない。(ここでその行為の価値を論じようとしてはいない。価値があったとしてもなかったとしてもという話をしている。)

しかし,これが往々にして,為政者の責任逃れにつながっているのではないだろうか。死に価値はあるのだから戦争に価値はあり,「私たちのとった政策は正しく,責任はない」。

私は,「必ず死ぬ出動は非人道的である」と思う。そのような作戦に至った為政者は責任あると思うが,それを「戦争で亡くなった人にけちをつけるのか」というかたちで否定されてしまう。

戦争は日本が追いつめられたためにおこったという人もいるが,戦争は外交の一手段である。戦争も含めて最適な手段をとるのが外交で(もちろん,軍事力を「抑止力」として用いるのが一番であるが),指導者の判断ミスが日本を滅ぼしてしまったというのが先の戦争ではないのか。

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masao
ゲイツ,ジョブズ,さんまと同じ1955年生まれ。 この春から自由人?に。